【御朱印巡り】白虎隊士自刃の地『飯盛山』で御朱印をいただきました。

嫁の御朱印日記
かなき
かなき

2020年10月に訪れました。

飯盛山は、城下町を一望できる小高い山です。ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリアならびにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門など、数多くの神話や史跡名所が残っています。
古くは古代四道将軍、弁財天、日本武尊などの神話も残り、1600年以上、会津盆地を見守る信仰の山です。

こちらで白虎隊の御朱印をいただけると聞き、飯盛山を訪れました。

【御朱印巡り】白虎隊の御朱印はこちら♪

御朱印

私が飯盛山でいただいた御朱印は上記写真の御朱印です。こちらの『白虎隊十九士霊神』の御朱印は飯盛本店展望台でいただきました。
判子のみでできている御朱印で初穂料は300円でした。


本来であれば、飯盛分店で白虎隊墓守である飯盛さんが書いている御朱印をいただけるのですが、最近は御朱印帳へ直書きを行っていないようです。

注意書き

飯盛分店には注意書きがでていました。ひとつひとつ丁寧に書いていたのに、心ない人の言葉により、書くことをやめてしまったそうです。
私が訪れた日は書き置きも完売しており、本物の白虎隊の御朱印をいただくことはできませんでした。


また、飯盛山を訪れた際に機会があれば御朱印をいただきたいと思います。

【御朱印巡り】白虎隊自刃の地『飯盛山』をレポート

飯盛山は小高い山なので、山頂までは183段もの階段があります。私たちは階段を上りましたが、足腰に自信のない方には動く坂道というものがあります。

動く坂道

スロープコンベアというエスカレーター見たいなものがあるので、石段を上らずに楽に飯盛山山頂に行くことができます。大人は1人250円かかります。上りのみになるので、帰りは石段を降ることになります。

コンベアに乗っているだけで山頂につきますが、これに250円はちょっと…。と思ってしまうのは私だけでしょうか。

スロープコンベア

飯盛山は見所が満載です。

案内図

参拝順路というものがあったので、順路通りに進みました。

最初は広場みたいなところにつきました。順路が右手に進むようになっていたので、まずは右側を散策。

広場

最初に見つけたのはドイツ記念碑です。

ドイツ記念碑

白虎隊士の行動に感動したドイツ大使館付武官ハッソウ・フォン・エッドルフ大佐から、白虎隊精神を賛美して昭和10(1935)年に寄贈されました。石碑にはナチスのマークとドイツ語で『会津の若き少年武士に贈る』と刻まれています。

隣にはイタリー記念碑があります。

イタリー記念碑

1928年に白虎隊士を称えてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある』と贈られた石碑です。

さらに右に進むと郡上藩の凌霜(りょうそう)隊の石碑があります。

郡上藩の凌霜隊の石碑

郡上藩の凌霜隊は、会津藩とともに戦い運命を共にした藩です。同様の慰霊碑が郡上八幡城にもあるそうです。

さらに進んでいくと山側に石碑が並んでいます。

石碑

飯沼貞吉の墓もありました。

飯沼貞吉

飯盛山に引き上げた白虎隊20名の中でただ1人生き残ったのが、飯沼貞吉でした。貞吉は生き残ってしまった自分を責めて、この会津の地から離れ2度と会津に戻ることはなかったそうです。
貞吉たっての希望で戊辰戦争90年祭の昭和32(1957)年に彼らが自刃した場所と自刃を遂げた19名の墓の間に髪の毛と爪が納められているそうです。

1番奥に白虎隊自刃の場があります。

白虎隊自刃の場

戊辰戦争で会津藩は15-17歳の少年で『白虎隊』を編成しました。彼らは明治元年(1868)、戸の口原での戦いで決定的打撃を受け、負傷者を抱えながら飯盛山へと落ち延びました。黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。

上記写真の石像の少年が見る方向に鶴ヶ城を見ることができます。

石碑

白虎隊自刃の場を後に、最初の広場へと戻りました。左側も散策。

左側には白虎観音や白虎隊士十九の墓があります。

白虎観音

白虎隊士十九の墓の前には狛犬が鎮座しています。

白虎隊士十九の墓

飯盛山で自刃した白虎隊士19人のお墓です。

隣には会津藩殉難烈婦の碑がありました。

会津藩殉難烈婦

戊辰戦争で自刃または戦死した会津藩の婦女子230余名の霊を弔うため、昭和3(1928)年に建てられたものです。

広場から飯盛分店に行きましたが、こちらでは御朱印をいただくことができませんでした。直書きは行っておらず、白虎隊の御朱印をいただきたい場合は書き置きか販売されている御朱印帳を購入するしかありません。


順路に従って進むと、稲荷大明神がありました。

稲荷大明神


稲荷大明神を過ぎると宇賀神堂が見えてます。

宇賀神堂

宇賀神堂は寛文年間(1661-1672年)、厳島神社の傍社として建立されました。古来より五穀豊穣の宇賀神(白蛇)がお祀りされています。戊辰戦争後に白虎隊十九士の霊像を合わせてお祀りした神社です。
宇賀神堂の御朱印が隣にある飯盛本店でいただくことができます。(*判子のみの御朱印です。筆書はありません。)

宇賀神堂の横には供養車があります。

供養車

この車を廻せば悲痛な音を発し、これが冥土にとどいて白虎隊士の霊魂を慰めると言われています。

宇賀神堂・供養車の目の前にはさざえ堂があります。

さざえ堂
さざえ堂

会津さざえ堂は1796年に建てられたと言われる高さ16.5m、回廊の付いた六角三層の仏堂です。正式名称は『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』と言います。
正面から螺旋状に右回りで上り、頂上の太鼓橋を越えると左回りの下りスロープになっていて背面出口に通じています。このような構造は木造建築として非常に珍しく、世界唯一の貴重な建物です。

さざえ堂の拝観料は大人1人400円です。

さざえ堂を過ぎると、白虎清水観音があります。

白虎清水観音

慈母子育観音像を安置し奉り白虎隊士をはじめ幾度の戦役において祖国の殉じたる少年たちの霊を弔うものです。

奥には厳島神社と呼ばれている神社もありました。

手水舎

昔は宗像神社と呼ばれ、宗像三女神市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):弁財天を祀り、歴代領主の時代から会津鎮護の神として尊崇されてきました。

厳島神社

別の名を弁天堂と言い、この飯盛山を弁天山とも言いました。社殿は永徳年間(590年前)に建立され、元禄13(1700)年には三代藩主松平正容公が御神殿及び社地を寄進され、明治初期に厳島神社と改ました。

厳島神社の奥には戸ノ口堰洞穴があります。

戸ノ口堰洞穴

猪苗代湖北西岸の戸ノ口から会津盆地へ水を引く用水堰(せき)で全長31kmにも及びます。
戸ノ口堰洞穴の奥には戸ノ口堰水神社があります。

鳥居

鳥居と社殿がありました。

社殿

厳島神社には立派な朱色の鳥居もあります。

鳥居

厳島神社鳥居の手前には子育地蔵尊も祀られていました。

子育地蔵尊

飯盛山霊牛神堂もありました。

飯盛山霊牛神堂

飯盛山入口から順路通りに進みましたが、最後には飯盛山参道入口に到達しました。

参道入口

飯盛山参道入口から入り、白虎隊自陣の場まで散策してもスムーズに回れると思います。

【御朱印巡り】白虎隊士自刃の地『飯盛山』の情報

名称白虎隊士自刃の地『飯盛山』
住所福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
拝観
時間
4-11月:8:15-日没
12-3月:9:00-16:00
*変更になる場合もあります。
料金○スロープコンベア
大人(中学生以上)250円
小人(小学生)150円
○さざえ堂拝観料
大人400円
大学・高校生300円
小・中学生200円
Web
サイト
飯盛山
さざえ堂

*白虎隊の御朱印は飯盛山墓守である飯山さんが書くものがちゃんとして御朱印だそうです。

【おまけ】嫁の御朱印日記

今回訪れた白虎隊自刃の地・飯盛山以外にも今まで訪れた寺院・神社について記念にまとめています。
よかったらご参照ください♪

最後に

飯盛山はたくさんの見所がありました。ちゃんとした白虎隊の御朱印を頂けなくて残念でした。ネットに転売する人もいて、御朱印を書くのをやめていたこともあるそうです。
御朱印を大切に扱っている人の手に届かなくなるのは、とても残念でなりません。

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